◆他の業界も同様な業態革命が起きていないのか。
農、塾という全く異なる業界で、似たような業態革命が起こっているということは、もっと普遍的に見られる現象であるはずである。そこで、こういった業態革命やそれに近い現象が、他の業界の事例にもないかを考えてみる。
例えば、設計業は、元々受注生産であり、ここで求められるのは最上流をどう攻めるかということになる。所謂、シンクタンク的な機能が不可欠となってくる。ポイントは、新しい意識潮流に応じた新しい需要が、どういう形で各業界に発生しているのかをまず掴むことにある。もちろん、全業種を対象にするわけにはいかないので、それを掴んだ上で次の可能性のある業種が何なのか、ポイントを見定める必要がある。
この需要の構造の変化の一番奥には、意識潮流の変化がある。そこで、もう一度その観点で意識潮流を見直していく。
70年豊かさが実現がした。その結果、物的飽和状態に達した。実は、この物的飽和は何を意味しているかは、今まであまり追求していない。そこで、物的充足とは何かを考える。
おそらく、それは利便性及び快適性の2つのファクターに分解される。近代、科学技術を含めて、もっぱらこの利便性と快適性を追求してきた。これが何で飽和するのか。利便性は、理論的に言えば飽和することは無い。それは快適性も同じである。
おそらく、これはコストの問題にある。つまり、70年あるいは80年までに達成されたような利便性・快適性については、つくればつくるほど売れるという形でペイしてきた。しかし現在、例えば空調の場合は、これ以上の快適性といわれても効果はちょっとしか上がらない割に、コストが莫大に上がるという関係にある。さらに、スピードについても同様で、これ以上のスピードを上げるには莫大なコストが掛かるが、その割にスピードが仮に3割上がったとしても利便性としたら大したことは無い。
要するに、コスト限界に達していることがわかる。これ以上の利便性・快適性を追求してもコストが全然合わないのである。これこそが物的飽和の正体である。
当然そこから70年以降は自然志向、90年以降は節約志向、11年以降は自給志向という段階にまで達してきている。しかし、これは単に物的飽和からだけ出てきたわけではない。もう1つ重要なファクターがあって、それは言うまでも無く、私権から共認へという潮流である。つまり共認充足が第一価値になった。
この共認充足第一という根底的な意識潮流は、その後、特に02年私権の終焉以降、課題収束、能力収束という流れを生じさせ、今や独学志向あるいは自習志向という段階にまで進んできた。
実は、自然志向とか節約志向、自給志向も、共認充足第一というファクターが強く影響を及ぼしている。おそらく歴史的に、共認充足が充分に得られていた時代、要するに私権時代以前の時代は、自然と一体であった。共認充足とこの自然志向は一体化する構造にある。さらに言えば、共認充足の最遠点には、実はかつての自給自足という自給志向とも密接に繋がっていると思われる。
従って、歴史的な体験記憶と繋がっているとすれば、共認充足は認識面においては当然、自分たちで考えていく、自分たちでつくっていく、という方向に繋がっていく。
(8/12なんでや劇場7に続く)
吉田達乃鯉
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