| ”やりたいこと”とは何か? 私権フレームが機能していた貧困の消滅以前においては、どんな職業に就くにせよ、出世し、成功し、或いは偉くなり→カネを稼ぎ→豊かさを手に入れることが人生の目標であり、敢えて言えば”やりたいこと”だったのだろう。 或いは、豊かさの実現が未だなされていない社会を、問題意識=”志”をもって変革しようという意味での”やりたいこと”(というか成すべきこと)もあっただろう。 そして、貧困が消滅し、私権フレームが形骸化すると共に、人生の目標たる上記”やりたいこと”(=私権追求)も同時に衰退し、規範圧力の衰弱に伴う自我の肥大化を背景に、個人の自由な自己実現、自我充足の手段としての、新たな”やりたいこと”探しが始まったのではないか。その意味で、これは、昨今の”自分探し”と同義であると看て取れる。 ・・・市場における競争単位として、無理矢理捏造され、加圧されることにより形成されてきた”自分”や”やりたいこと”ゆえ、私権追求がリアリティーを失った今、それらも同時に輝きを失い、希薄化するのは必然であり、そんなものを自らの内に見出そうとしても見つかるはずも無い。 では、”やりたいこと”に代る、新たな活力源=充足できる目標とは何か? これは、就職を控えた学生に限らず、本来の共認動物・集団動物として極めて自然な欲求であるところの、親和・仲間収束の潮流にその答えがあるのではないか。 ・・・若者を中心に、ほぼ全ての人が、私権時代に失われてしまった人と人との、或いは自然との繋がり、”絆”を心の奥底で求めている。・・・潜在的に孕む警戒心ゆえ、相当の葛藤とストレスに苛まれながら・・・ではあるが。 ”起業”とは、その、一つの現象と見ることができるのではないか。つまり、既存の私権企業では実現できない生産体を”自分達”で創り、既存の私権企業では味わえない”仲間との充足”を得ようとする。あくまでも”自分”では無く、”自分達”だ。 その背景には、私権フレームが形骸化したことにより開かれた、”自分達”で社会を何とかしたい・・・という社会統合への意識も存在するだろう。 ・・・これは、”起業”に限らず、市民サークルや市民運動、NPO等にも共通して見られる構造だと思われる。・・・私権フレームによる既存の力関係を離れて、皆で楽しくワイワイやり、充足することが、彼らの真の目的といっても良いくらいだ。 とすると、あえて”やりたいこと”と言うならば、それは”皆の生きる場(生産体)”を創る、或いは”社会を変える”・・・であり、そこにおいては”やりたい”よりも”役に立てるか”が、”個性”よりも”能力→役割”で重要であり、そのような自然な欠乏に導かれて起こされたものだけが、活力をもって成長し、今や時代遅れの”自己実現”や、そのための”やりたいこと”を活力源とした”起業”は、衰退し、いずれ消滅する運命が待っているだけであろうと思われる。 |
越見東太
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