2012年8月31日金曜日

自我の源泉は、共認の部分否定にある

真猿が仲間の期待(課題や役割)に応えようとする際(雌が首雄の期待に応えようとする際も同じですが)、まず頭の中に充足イメージ(応合のイメージ)を描き、それを活力源とも先導力ともして、応合行動をとっています。この充足イメージの大部分は過去の体験記憶を元にしていますが、その記憶には自分の体験だけでなく、仲間たちの体験も含まれています。更に一部は願望=幻想です。とりわけ、-捨象・+収束のドーパミン回路によって描かれた評価の充足イメージは、幻想性が強くなります。

従って、自分で頭の中に描いた期待や評価の充足イメージと、現実に周りから与えられる期待や評価(それらは、周り=仲間によって共認されています)との間には、ギャップが生じます。しかし、ギャップが生じるからと云って、必ずしも自我が生じる訳ではありません。同じドーパミン回路を使って充足イメージで+統合し、その実現に向けて努力すれば良い結果につながります(その場合、自我は生じません)。

問題は、周りから与えられた期待や評価を(頭の中の充足イメージとの対立から)不満視or否定視した場合です。その時はじめて評価(≒共認)捨象・自己陶酔の自我(回路)が形成されます。とは云え、彼は皆の評価共認の全てを否定→捨象している訳ではなく、むしろ自分(と特定の否定対象)に対する評価以外の、大多数の仲間たちに対する評価は自分も共認しています。ただ、自分(と特定の相手)に対する評価だけは認めたくないので、捨象して頭の中の+幻想イメージへと収束する訳です。
概ねは共認しながら自分に対する評価だけは捨象するというのは、何とも都合の良い身勝手な回路ですが、この様に自分だけを特別化→絶対化しようとする意識であるからこそ、後に、人類によってそれは「自我」と呼ばれるようになったのでしょう。

四方勢至

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