| >現在の子供たちの仲間意識はあくまでも表層的な仲間関係構築を土台にしており、いまだに残る旧い価値観や観念が暗い影をおとしているといえるでしょう。分かりやすく言うと、仲間を求めるのではなく、仲間はずれにされたくないという考えで仲間関係をつくり、仲間意識自体が一種の強迫観念になってしまっているのではないでしょうか。これは決して「共認」と呼べる状態ではなく貴方が指摘された「子供は敏感」すら損なわれている現状だと思います。< 恐らく一般的に現代の大人達は、貴方のご意見のように感じられる方が多いと思います。しかし、やはりこのことは、「見る側の状況」が反映されているように思えてなりません。子供達の現在的状況とこれを分析する大人達とは、当然「状況」が異なります。一般的に先人である側が、その考え方に、より先時代的価値観を色濃く残していることは、言うまでもないことでしょう。 子供達は、確かに仲間意識が強迫観念化していると思いますが、これは更にその土台にあるところの仲間を求める「共認の欠乏」と、より先端に位置するところの現実とのギャップにより引き起こされているものと思います。その意味で、確かに対処方法としての現実的な仲間関係は、一見表層的なものとなるのでしょうけれど、大事なことは、例えそうであっても仲間欠乏=共認欠乏に収束していると言うことではないでしょうか。 対して大人は、古い価値観=私権の価値観念を残存させており、何かを見ようとする場合にこの呪縛をなかなか取り払うことが出来ません。また、現在の社会はその様な大人達が、旧観念から完全には開放されないまま、制度的にも旧制度を持続させている状況であり、貴方が仰る「古い価値観や観念が暗い影を落としている」というのは、むしろこの様な制度的な問題として当てはめるべきものではないかと思います。 大人達が現在の若者の仲間関係を「表層的」と感じてしまうのもこの様な旧観念の特徴でとして大いに懸念されることです。旧観念である私権は、それこそが自己本位的に価値化されており、当然の事ながら、仲間などと言うことは私権の価値観からは「表層的」に処理せざるを得なかったでしょう。 私権存在であった大人達は、彼らのように仲間関係に悩む事など無く、「表層的」であることに気づくことすらせずに、それこそ欺瞞に満ちた人間関係を過ごしてきたのではないでしょうか(そういう私も大人であることは認識しております)。 結局問題は、現代の大人達が、自らが「表層的」である事を映すかのように現代の若者の仲間関係を見てしまって本当に良いのかと言うことですし、その様に見てしまうことが若者の可能性を封じることになるのではないかという強い懸念です。彼らが求めていることは、大人や社会が実際的に変わることなのではないでしょうか。 若者は、仲間欠乏という共認に収束していながらも決定的に全うされないから「異常」を来すのであり、その意味で、彼らは十分に共認の世界に生きていると言えます。そもそも共認の世界に生きていない人間などというものがいるとすれば、それは、私権に服従する人々=大人という「過去の人」なのではないでしょうか。 |
| 斎藤裕一 |
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