| http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=4698の記事にありますが、 このような過程で個人主義は浸透していった。 つまり、この見解に立てば、個人主義の物質的基盤は市場社会にあり、更に市場社会の奥には、私益追求の欲求及びそれを巡る闘いが存在するという構造が存在することになる。 ではそれを踏まえて、現在的な問題はどこにあるかについて触れる。 もちろん現在も私益追求の欲求は消滅してはいない。しかし最早それが現代人の最大の活力源足り得るか?という観点では、その絶対性が相当に衰弱している様に思われる。 |
つまり市場拡大の原動力となった、私益拡大に明日への夢をかける=可能性収束するという大衆的意識が衰弱したと見ることができる。
そして、同時に私益を物象化した存在である、金(かね)の持つ絶対的な力(価値)が徐々に衰弱しつつあると見ることができる。
私は「人権思想」は、権力等の力の存在に対して人々の生存権を守るために登場し浸透した観念と見ている。
市場社会においては日常的な力とは、金であり資本であった。だとすれば現在は個人主義を拡大した二つの物質的条件が夫々衰弱したことを意味する。
このことは我々に大きな可能性の基盤を開いてくれたと思う。
だとすれば、現在この可能性基盤に相応しい観念が必要とされていると思う。
つまり現実そのものを解析する観念、あるいは個人主義も含めた過去の思想の検証が本格的に必要となっている様に思う。
とりわけ現在は、生産活動の中にも過去の企業と出自の違うNPOによる事業や、仲間的色彩を濃厚に持つ若者のベンチャー事業など明らかに新しい企業集団が登場しつつある。つまりそのような自律的な集団の新しい可能性をより促進するために、個人と集団を敵対的なものと見るのではなく個と集団がイコールの地平で結ばれる、そんな認識スタンスが求められていると思う。
あるいは万人の社会参加を可能にする、そんな意識上のかつ物質的な条件作りが求められていると思う。
北村浩司
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